【原発と人災】
今、原発事故の後始末について、つけのたらいまわしのようなことが行われています、その解決策の名案を別項に書いてあります。
おごりからの人災であったと殆んどの人が理解するようになりましたが、事故の被害と復興費用を原発の発電コストに入れて考えることは誰もしようとしていません。
原発政策の未来について国民は0%を求め、節電効果と再生エネルギー発電へのシフトが急速に進み、結構昔に願ったように進んでくれています。この調子でいけば、エネルギーミックスは正にスマートになるでしょう。
しかし国民の本当の思いかマスコミが言う世論か判りませんが、要するに、高い電気は困るけれど、原発はいやだ、という矛盾した考えに、日本中が困惑しているのでしょう。
要するに日本がウラン原発を選んだ袋小路です、プルとニュームが出来るこの原発は、長い未来へ負の遺産を残すことになりそうです。トリューム原発と言うのが考えられていて、ウラン原発よりは未だマシなようですが、どんな落とし穴があるのか未だ書けるところまで理解していないので、これについてはお待ちください。
エネルギーの無い未来はあり得ないですから、これは何とかしなければならない、しかし安全と未来への負の遺産だけは避けたいですね。
このところの異常気象の多発を見ていると、温暖化が予想より早く迫っている感さえあります。
人はこれからどうすべきでしょうか。
2005年3月に発行した、私たちの会の会報「山から始まる自然保護」に書いていた文章が目に付きました。今の問題を8年前にうまく書いていますので次ページよりご覧に入れます。(2012年10月11日)
【原発の進む方向】 20120627
大飯原発の再稼働が行われそうす。破砕帯、活断層が近くに有り、排気筒の放射能除去装置も出来ていない、非常時の司令塔になる免震重要棟も未だ出来ていないのにです。今夏の猛暑に対して節電で乗り切るか、原発を動かすか。関東では節電対策が多く進み、省エネ意識も高くなっていますが、関西の人達は安易な道を選ぶのでしょうか。
本当の中身は公開しない関西電力の停電の脅かしに、住民や経済界が負けて首相に拙速の結論を促したように読めます。しかしここで首相一人が政治生命を賭けたところで、多くの国民の本当の命が危険にさらされる可能性(小さいにせよ)がある。それを国民のためにと言うのもおかしなものだと思いますが。
新聞報道が殆んどされませんが、首相官邸周辺での脱原発デモは相当に激烈だったようです。6月22日には4万人が参加したと聞きます。私は結論を急ぎ過ぎている、原因究明がされ、被害者対策など打つべきことが十分にされ、将来のエネルギー政策への明るい設計が出来るまで、夏の短期間のために安易に結論を出すべきではないと思いますがいかがですか。もちろん計画停電もCO2増も困りますが、ここは皆で我慢して協力して、国民の責任でしっかりした方向を出したらどうでしょうか。
原因究明を待つとすると、半減期で減るのを待たねば近寄って現物を調べることも出来ないので、福島原発の原因究明には凄く時間がかかることになります。しかしこれは見直して皆で出なおすための良い機会だろうと思うのです。
その間どうする、現に未来社会に向けての工夫が次々にされ始めています。省エネルギーと省資源、再生可能エネルギーの推進。この延長で皆が新しい「人間の持続可能な文明」の在りようを体験的に模索するのは、未来のために進んでいて良い。これは世界に対するモデルです。風力、水力、太陽光、地熱、海流など、使っていないエネルギーが未だ未だ一杯ある。
私は原子力の技術を手に入れた世界の人達が、それを簡単に手放すことが出来るとは思いません。しかし使い方には問題があります。影響の大きい技術である故に、それを使いこなせる人間に相応しく、人間自身が早く進化する必要があります、それが出来るまでは、簡単には持ってはいけないのではないかと思うのです。
技術は失敗を通して進歩するものです、ライト兄弟から今日の飛行機までを考えると良いです。どれほどの犠牲者が居たでしょうか。しかし原発は失敗が許されない、この条件の中で進歩するのは人間には(動物には)凄く難しいのです。
技術を使いこなす進歩だけではありません、それを持つ人間社会の構造の進化も含めて考えます。人間はもっと賢くならねば原子力を使いこなすことは出来ないのではないか。現に原子力村という一般人が理解しにくい集団が出来て、それが人々の生活を支配していると言う、おかしなことが起きています。こういうことが起きないぐらいの「利他的な賢者」に進化しなければということです。出来るでしょうか。
戦争の道具以外に用途の無いプルトニュームを作るために生まれた原発から出来る電気(見方を変えると副産物)を、安穏に使って現代を生きていると言うのもおかしなことです。
すでに原発の安全神話は崩れました。安く電気を生み出せると言う論理の中に、いずれは起きる廃炉の費用、使用済み核燃料の処理費用、事故の対策と補償費用が含まれていないことも衆知になりました。
さらに被災地の放射能が除染して消えるものではなく、被災したら100年以上住めなくなる。そして政府も東電もその不幸を肩代りしてはくれない。食品や物品に混ざって放射能は拡散し体内に入ってくる、たとえそれが自然放射能に比べて小さいとしても、その物は移動はするが消えず濃縮される。そういうことが衆知になったことは良いことだと思います。
大飯にしても、或る期間、皆が承知の上で危険を冒すのなら良いでしょう。何が起きても自ら蒔くのですから、結果を甘んじて受ける覚悟があるなら良いのです。周りは迷惑するわけですが。
世界の地震活動図をここに載せます。過去に地震の起きたところに黒い点を打ったものです。これは殆んど地球のプレート境界と一致します。その地震の印で真っ黒になる日本には、活断層が見つかるとか見つからないの話ではなく、原発建設適地なんかどこにも無いと考えるべきでした。
日本はエネルギーをウラン原発に頼ろうという政策を選んで進んできました。これが袋小路であることは今回の福島の辛い経験でもう判ったのですが。それでもまだ、今の困難を正面から乗り切ろうとせず。甘い蜜に引き寄せられています。
時間はかかるでしょうし、経済的にも苦労が多いでしょうがこれからエネルギー革命が起きるでしょう。その間、危ない綱渡りはしない方が良いのです。国民は知っていながら、誰かに責任をなすりつけて見えないふりをして、安住しているという、イソップの漫画のような図式が今です。
副産物と書きました。原発は電気も作りますが、核爆弾の原料のプルトニュームと核廃棄物も作っていて、今のところプルトニュームは原爆の他に用途が無いのです。戦争(大量人殺し)の手段として役立つプルトニュームを電気と共に作っている。それがウラン原発です。そのことは原発を考える時にセットにしなければと思います。
戦争の道具の副産物が平和の発展のための電気というのも皮肉な矛盾です。
その原爆の材料のプルとニュームの戦争で使う以外の他の処理法は現在ありません、青森の六ヶ所村での再処理も危険極まりないのです。中曽根康弘氏がなぜウラン原発を選んだのか、冷戦時代のアメリカの影響か(実は今思えば他の選択肢もあった、せめてトリウム原発にしておけば良かった)。そこから袋小路への進入が始まっていました、おそらく当時はこんなに苦しむ道だとは思っていなかったでしょうが。
さて若狭湾で何かがあったら、福井の人々は風上の京都に逃げるでしょう。琵琶湖が放射能で汚染されたら、京都、大阪の人々は使う水をどうするつもりでしょうか。大飯原発には避難路が1本しかないそうです、免震重要棟も未だ出来ていないから、ここで働く人たちは何かがあったら脱出出来ないので見殺しです。
ここに務めるにはいつも決死隊の覚悟が要ります。同じ動かすのなら、もっと100倍安全にしてからに出来ないものかと思います。なぜ今、安全が確認されたと言えるのでしょうか。
もう一つ、原発の耐用年数を40年より伸ばすかどうかの議論がありますが、これのおかしさです。大体安全を考えるとき、破壊テストの実績の半分にするものです、福島の40年の実績からすると20年で廃炉にしなければならないはずです。
だからせめて30年にするべきだと言って来ましたが、いま根拠も無く長くしようとしています。うがって考えると、とりあえず今これを長くしておかないと、計算上の設備償却の電力料への負担が大きくなって、安いと言う神話の発言が崩れてしまうからではないのか。
大飯原発の3号は1991年12月、4号は1993年2月の稼働開始。三菱重工製です。美浜原発3号は1976年3月に稼働開始しています。大きな船でも20年30年で廃船です。この数字は良く覚えておいて下さい。今日本にある54基の原発の内、30年廃炉のルールであと10年動かせるのは13基、20年動かせるのは4基です。まず新設は出来ないから、新しいエネルギー開発を急ぎます。
安全と開発のためにお金を惜しまないでほしいと思います。だから周囲も電気を安くしろと言わないことです。原発の電気もどうせ安くはないのだから、今を偽って後につけを残さず、初めから高くしたら他のエネルギー開発を促進するでしょう。
今、東大の原子力工学科はシステム創成学科という名前になっています。ほかの大学も物理工学科、エネルギー科学科と名前を変えています。悪く言えば名前を偽って学生を集めている。こういうことで将来を担う有能な人材が育つのでしょうか。何十年と原発を動かすつもりなら、それを支える人が次々に育つことが必要です。原子炉を途上国に輸出するのなら、それについて行く有能な技術者が必要です。ここにある矛盾、既に発展の条件を失っているにではないか。
やるのならそれにふさわしく、もっと現状をフェアーにして、花形技術になるように体質を変えねば今後が成立しないです。原発村の隠ぺい体質をそのまま残して次に進もうとしている。これでは進化しないだろうし、袋小路です。
福島の11市町村の避難者が帰宅可能にならない所が、空間放射線の量から見て、10年後にも18%、20年後でも8%ある、と政府が発表した記事がありました(20120610朝日)これは100年帰ることが出来ないのと同じことで、それを言葉を変えて自他を傷つけないように小出しにしているのですね。
放射能汚染焼却灰の処理をどうするかということに対して、これは早くしないと拡散してしまいます。なぜ東電は早く自分の原発近くの汚染土地に引き取り集めることをしないのでしょうか。政府もそれをささないのでしょうか。
再生可能エネルギー源が期待され動き出し始めています、ソーラ、風車、小水力、海上風車、地熱、地中熱、海流、EVを活用してスマートシティー、EVの他に水素燃料電池、蓄熱、蓄電。さらに省エネのためのいろいろの工夫と実施。一種の産業革命ですね。東北にいろんな工場の進出が始まっています、老朽化したインフラの整備に注目が集まっています。これらは希望です。被災地の新しい復興もかなり始まっています。
折角南北に縦に長い日本です、昔もあったかもしれない、これからも多くありそうな自然災害と気候変動に対して、出来るだけ分散させることでしょう。昔は破壊され易い大きいものが少なく、日本人は自然災害を避けて破壊に耐えて、復活して、を繰り返して進歩して来て、だから今があるのだと思います。今回のダメージは大きかったですが、急いでは出来ない様々な問題の中で、いろいろな力が発揮されつつあることを心から救いだと感じます。
どこかの政治家がよくぞ言ってくれました。「原発を再稼働しないことは集団自殺するようなものだ」と。そしてこれを騒ぐ新聞もテレビも見当たりませんでした。国民がこれに騒ぐふうもありません。「安全の対策が不十分な原発を稼働することは、集団で崖っぷちを歩くこと」です。この言葉はそういう使い方をすべきです。そのことをもう一度考えると良いです。
福島の第1原発は、からくも炉心溶融の大事故を免れましたが、これは運が良かっただけです、被害者には申し訳ないことですけれど、これで済んだのは幸運としか言えません。大飯原発を考えるときチェルノブイリ原発事故の汚染地図が、http://www.j.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Henc.html にありますから、これをクリックして是非ご覧ください。日本の地図に重ねて下さい。その被害半径は300km、離れて600kmの所もあります。
もし若狭湾でこれが起きたらどうなるか。福島の比ではないことが良く解ります。だから、安易に安全確認なんかは出来ません。政治的な見切り発車はあり得ないです。
だんだん先が読めて、あきらめにより落ち着いてきたような気がします。
食品の放射能汚染はいくら検査してもある程度は手元に来るでしょう。除染は一時のジェスチャーと気休めで、広く撒かれたものは再び集まって来るでしょう。危険な原発は、いつか危険の芽を残したままの再稼働がされる、こういうことは起こらないと言いたいです。古い原発は廃炉で、使用済み核燃料を抱えたまま時間を待って壊すにしても、しかし放射化した材料の再使用は出来ないからそのまま置いて置くのでしょう。スクラップ・アンド・ビルドの出来ない原発、新しい建設地は無いから、そのままモニュメントのようにそこに居る。
我々は今もっと賢くならねばならないです。
【再稼働しないは集団自殺】 (20120417大森弘一郎)
どこかの政治家がよくぞ言ってくれました。「原発を再稼働しないことは集団自殺するようなものだ」と。そしてこれを騒ぐ新聞もテレビも見当たりません。国民が騒ぐふうもありません。「安全の対策が不十分な原発を稼働することは、集団自殺の崖っぷちを皆で歩くこと」です。この言葉はそう言う時に使うのです。
再稼働しなくても不便さえ忍べば命の別状はありません、一方もし事故が起きれば命にかかわるのですから。
原発の安全神話は崩れましたが、その危険の大きさは30km圏内と言うことでおさまっているようです。しかし問題は津波だけでなく、20cmの厚さの圧力容器が放射能で脆化することにもあります、良く解っていないこの方が怖いです。
福島の第1原発は、からくも炉心溶融の大事故を免れましたが、これは運が良かっただけでしょう。被害者には申し訳ないのですけれど、これで済んだのは幸運としか言えません、チェルノブイリ原発事故の汚染地図http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Henc.html をご覧ください、その半径は300km、離れて600kmの所もあります。
皆、福島の事故の被害の大きさぐらいで驚いていますが、チェルノブイリの場合は放射能被害の広さは300kmであり、遠くは600kmです。もし若狭湾の大飯原発で炉心溶融が起きると、300kmは岡山から小田原が入る広さです。600kmだと長崎から仙台です。
可能性は小さいでしょうが、こういう国が消える程のリスクを抱えているのが原発です、大きすぎるリスクに今の国民は共同責任を背負っていることになります。
福島と同じ30kmだとしても、琵琶湖に放射能が入ったら、その水を使っている京都や大阪の水道は一体どうなるのでしょうか。我々はしばらくは我慢して省エネをし、早く原発依存から脱却したいものです。発電をすると出来てくる原爆材料のプルとニュームの処理方法が確立していないことも気になりませんか。
だから、安全対策の確認が取れるまで運転してはいけません。技術の解らない人の政治的な見切り発車はあり得ません。さらに運転するといま放射性廃棄物の処理法はありません、青森の六ヶ所村での再処理も危険極まりないのです。
今日本にある54基の原発の内、福島を除いて、10年以内の原発は4基、20年以内は17基、30年以内は12基、40年以内は11基、40年以上は2基です。新しい方が安全だと言うには根拠が深くありませんが、自動車だって20年走ったら超中古です。脆性劣化を考えると初期予想の半分の20年で廃炉にする(つまり電力コストが5円でなく10円になる)。現在の安全対策に加えてさらに20年廃炉で始めるのなら、まだ崖っぷち行進のリスクは小さい気がするのですがどうでしょうか。
1953年3月に中曽根康弘氏が、アメリカ方式の、原爆材料のプルトニュームを作る、ウランによる原発開発予算に235億円をつけたと言う話があります。この時になぜ日本独自の技術路線を歩こうとしなかったのか、今私には評価が出来ないのですが、ウランよりはましなマグネシューム、トリューム。さらにソーラ、地熱、風力がありました。もっと人間は賢くなる、今がチャンスでしょう。
放射能は半減期以外では減りも消えもしません、除染は移動させているだけです、煙突の煙にはセシュームが含まれていて広く拡散されています。量の多少を議論しないで、福島第1原発のそばの使えない土地に集めて埋めることは出来ないでしょうか。1km×1km×100mは1億立方米です、これだけあれば十分ではないでしょうか。日本中の皆で不幸を分担する考えも良いでしょうが、日本中を汚染地にしない方が賢くないでしょうか。
【3・11から思う】(20110314~22 大森弘一郎)
あれから1年が過ぎました。その間自分は何が出来たのか、忸怩たる思いだけが残っています。これから何が出来るでしょうか。
2011年3月11日から「何を考えたか、何が出来るか」と考えたことを、自分に言い聞かせるために死に物狂いで書いていました。2011年3月14日~22日の間に書いていたことを、追悼の気持ちと共に、ここに載せます。今これを見なおしてみて、人が直後に思ったこととして、参考になることがあります。
3・11から思う(1自然災害の凄さ)
11日、虫の知らせか、有明のビッグサイトに行くのをひかえた。あとで考えると展示会に行っていたらまず熱心に見ていただろうから、会場内で何が有ったか。帰りどうなったか。どう考えても苦労したであろう。私は幸運だった。
家でテレビを息をつめて見ていた。これからどうなる、何が起きる。原発は大丈夫そうで、と思っていたら福島原発のニュースが始まった。日本の経済への打撃は、外国との競争は、と話したら、今そんなことを考えているのと女房に叱られた。
黒い水が陸を飲み込んで行くのを見ていた、押し寄せる波から逃げる方向に車が走っている、3台、2台はスピードを上げたが1台は止まってしまった、「どうした頑張れ」と言っている内に黒い水につかまってしまった。見ている前で。何も出来ない。黒い水の押し寄せるのは、考えたこともない凄い姿。
家が流され家が車が上に流され下に流され、画面には無いがその中の多くに人が居ると思って息をつめて見ていた。これから何が起きるか想像も出来ない。
太平洋プレートの沈み込みで歪エネルギーが多く溜まっている。どこでどんな形で放出されるかわからない、いつかも判らない、溜まりすぎている。と地震学者から聞いていた。東京も近い日のいつかにあると聞いていた。そのいつがこんな形で起こった。プレート境界上の200km巾、500km長さで、規模はマグニチュード9.0とは後の報道である。
放出されたからしばらく落ち着くのか、その連鎖でプレートの南の方も動くのか。それは大きいのか。もし津波が東京湾に入ったら、銀座はどうなる、地下鉄はどうなる、地震で高層ビルはどうなる。
今回の被災者には言えないが、あの時間帯で、天気の良い日で未だ凶悪さが小さくなった。夜だったり悪天の日だったらと、ゾットする。そのさらに凄い怖さは想像も出来ない。何が起きたのか見ることも出来ずに街が消えて瓦礫が残って、人が消えていたことになる。
津波の実体を目で見て自然災害の凄さを知ることが出来た、復興の街づくり、他の地域の人への多くの教訓を残した。温暖化による海面上昇と高潮と台風でも災害は起きやすくなる。日本列島に沈み込むプレートを我々は知っていた。バンダアチェやチリ地震津波を知っていた。それでも避けられなかった。
我々の世界はこれを次に活かす教訓にしなければ浮かばれない。(20110314大森弘一郎)
3・11から思う(2失敗の許せない技術開発)
嗚呼、1万人以上とは何という被害だろう。東北の海岸の町が全て消えてしまって瓦礫となっている。太平洋戦争の跡みたいだ。これも地球の営みで、太平洋プレートが貯めた歪の放出だから、地球規模で言えば平衡に近づいたことになる。それを知っていてもう少し被害を少なく出来なかっただろうか。
これだけ多くの不幸を知ると、数に比例すべき悲しみは比例せずに麻痺してしまう。これは多分人には避けられなかった天災だったのだろうと。これからどう立ち直るのかが試されていると考えると、天災は未だ考えられる。
有史以来の津波は天災だったのであろう。しかし人災は諦められない、許せない。自分にもするべきことが有ったかも知れないと思うと残念だ。
今の時点、福島原発は3つとも冷却能力が失われている、設備の津波対応不足に加え、多分緊急対応の遅れが有るだろう。海水注入がどのように有効なのかどうか知らないが、1号で有効だと言うならなぜ保全のために他にも早くやっていなかったのか。多分設備お大事の指示があったのではないか。違うかも知れないが関係者の動きを見ていると、そういう不信感が出る。
30年で廃炉のはずのアメリカのGE製のものを40年に延ばしたそうだが、これの根は同じだろう、決めたのは誰か。津波の危険忠告が多くありながら、ただのジーゼルが水にかぶって動かないような事前の対策とはどういうことか、柏崎でトランスが消せなかった。この時は消火の水が来なかったのだと、重大なことを過少に見る姿勢、これへの忠告が有ったが、これと同じだ、その裏にある原因を掴んで活かしていない。
失敗の無い技術開発は無い、故障しない機械は無い、技術は失敗を通して伸びる宿命を持っているものだ。技術者は失敗を通して伸びるのかも知れない。タンクは火災を通して安全性が高くなるだろう、飛行機は、車は、事故を通して完成させられていっている。しかしその事故は被害者には申し訳のない言い方だが、その部分の範囲である。手を付けられないでいても、その範囲で収束する。
一方原発は自己収束しない。臨界事故の被害は限りなく大きくなる。だからそれを知っている保険会社は原発関係の一切の保険に応じない(最近知ったことだが1000億円ぐらいを限度にやっているらしい)。これは国が国の責任で進めて来ている。原発技術は途方もない人間のリスクを担保にしてのみ進歩できる図式を負っている。エネルギー資源が無いと思っている日本国と日本人は世界のモルモットになっていたのだ。
今回の臨界事故がとりあえず何とか終息することを祈らずにはいられない。その後も大変だが。(20110314大森弘一郎)
3・11から思う(3高い原発の電気料)
これから書くことをもっと早く試みてみなかったことを悔やみます。こんなことは前から思っていたことだが。原発の電力は安い、CO2を出さないクリーンなエネルギーだと言いふらされていた。どこかおかしい。本当に安いの?、設備費の償却は、排出される放射能に対する対策費は、使用済み核燃料の保管費用は、事故が有った時の補償費用はどう保全されているのか。それがコストに入って10円なのですか。と言う不思議です。
当面の運転で、CO2を出すのが少ない。そうだとしても、環境に対する放射能の放出が勘定に入っていない。危険に対するリスク経費が入っていない。「温暖化で負の遺産を残さない」と言う話と同じく、「放射能の危険を残さない」と言うことが論じられない不思議。
今回のことで思いついて乱暴な試算をしてみました。
今までの40年間で原発が発電した発電量の概算は、年平均0.2兆kw時で、これに×40年ですから大体の総発電量は、約8兆kw時です。1kw時を10円とすると、80兆円になります。
今回の福島原発事故で失ったもの、失うもの、これは津波被害で失った他に失うものですが、これをいくらと計算すれば良いのでしょうか。30km圏内から出て避難生活をする人を2万人とし、1000日×10万円とします。これでもう2兆円です。廃炉の撤去費用をいくらとするか、それの保管費用を何年分見るか、100年とするか。他の経済損失をいくらにするか、何年まで影響ありとするか。30km2の土地代は10万円/m2とすれば30兆円です、周辺の被害も含めて、全体の損失をいくらに計算するか。これを100兆円だとすれば。これは今まで使っていた電力料が実は10円でなく22円だったのだ。と言うことになります。もし原発の耐用年数を安全を見て半分にしていたら22円は44円になる。(この計算は大雑把過ぎるのを承知で書きました、どうか計算しなおしてください。正しい値をお教え下さい)
原発の電気は「高いよ、危険のリスクもあるよ」と言われていて、その上で考えて選んだのなら良いのですが、今後はそれを承知で生き、また経済活動をすることになるでしょう。保険をかけて車に乗り、飛行機に乗る我々です。それでも良ければ続けたらいいし、これはヤバイと思ったら、国の原発立国の方針を変えて貰ったら良い。舵が効くには凄い時間とお金がかかるでしょうが。
それの選択をするチャンスだと思います。(20110314 大森弘一郎)
3・11から思う(4危うい原発)
4、50年昔、エネルギー問題を抱えていた日本が、原子力と言う夢のエネルギーに活路を考えた、核融合まで視野に入れていた。原子力基本法が出来たのは昭和30年12月19日です。広島長崎の被害で核アレルギーがある我々相手だから、政府以下に隠ぺい体質が育ったのもうなずけます。そしてわれわれ国民も危うさを知らされないのを薄々承知していて、国の責任だと逃げて、その恩恵だけを頂いていた。真面目な専門家が危うさを説くと国賊になる雰囲気が作られ、我々も近寄るのを避けた。
そのつけが今回の事故です、制御できない臨界事故の暴走(メルトダウン)に展開しなければ良いのですが。ウランは集まるだけで臨界になって核分裂をする厄介なものです、東海事故ではバケツ一杯で臨界になったのですから、厄介です。ジルコニュームの鞘の中にウランが入っていて、制御棒を入れると核分裂を止めるが、制御棒が無くなると核分裂が始まる、つまりほっとくと制御出来なくなる。鉄が溶けるのは1500度です、2500度以上になった鞘がどうなっているのか、100度を超えると沸騰する海水で、圧力がまの外を冷やしても、中に2500度の発熱を続ける燃料が居る、怖いですね。
溶けて一緒になると、制御棒も一緒に溶けて集まったら、その後どうなるんでしょうか、オソロシイ。
これから、幸運にも終息に向かってくれたら良いのですが。溶けて下に落ちて量が多くなったら再臨界になり、15cmの厚さの釜の底に直接乗って、その底を溶かしそう、炉心溶融となってきりなく発熱し、放射能を出し続ける。
多分これを止められる人は居ないでしょう。
プルとニューム239は猛毒で半減期が2万4千年です。原子力基本法を作る時は、ウラン235が核分裂してプルとニューム239になり、そのプルとニュームがさらに燃えて増殖してエネルギーを出すと言う。そこまではやりたいと思ったとしても無理はありません。核融合を考えたのもその時は自然でしょう。
しかし今は違います。今回3号炉ではMOX(ウランとプルトニュームの1:1混合酸化物)の使用を昨年の9月から始めていたらしいのです。このプルトニュウムが飛散しなければ救いです。誰でもが操縦できない飛行機のように、人の能力、今の人だけではなく、未来の「携わる人」の能力も含めて、取り扱いの危険なものであることを、大変な代償を払って皆が知りました。
エネルギー政策の舵を取りなおさねばならない。これを世界中の新しい課題として、身を持って示していると考えねば浮かばれないです。(20110314 大森弘一郎)
3・11から思う(5人間には扱えない)
もんじゅは冷却材のナトリュームが循環するように加熱して融かし続けて、炉の中に落した1トンの部品を拾えないでいる。どうするつもりなのか、放射能が消えるまでの何千年を待つ気なのか。そうして猛毒のプルトニュームをウラニュームと混ぜて燃やすMOXと言うものがいじられているらしい。その使用済み廃棄物(20倍とも40倍とも言われている)はどう保管するのか。下北半島の恐山の近くの断層の上の六ヶ所村に、もし保管と再処理施設が作られているらしい、ここが稼働してここに津波が来たとしたら。
この計画が始めからおかしいことは判っていただろうに。今回その恐ろしさが本気で判っただろうか。
使用済み核燃料の始末の悪いことは、今回良くわかった。他に仕舞う場所が無いので炉の上において冷やしていた、自衛隊や消防が放射線の中で作業してくれた放水が、効果を上げることを願う。
放水の始まる前、テレビに赤い車が17台並んで動かず、人の動きものろのろで、「頑張ってくれ」とやきもきしていたが、これは被曝を考えての行動だったと今は判る。
地震も津波も予測されていて、それを過少に考えて作られていたのはなぜだろう。利益重視の経済活動の中に、原発はそぐわない。人間の社会が持ってはいけないものなのではないか。
これから地震国の日本で、原発の新設は出来ない。どんどん古くなって10年、20年、スクラップに出来ない廃炉が増えてくる。これを引き受ける人、今後の若者の人材がこぞって集まる職場になるとも思えないし、テレビで幼稚な解説をしている専門家と言う教授のもとで人材が育つとも思えない。
これから原発を扱う人材に要求されることは、頭脳だけではなく、創造的ひらめきと、決断力と、決死的な行動の取れる度胸。そういう人だが、これからそういう人がたくさん育つことを要求することは無理だろう。つまり人間には原発と付き合い続ける能力は無いと。
原発を作って、次代に渡すと言うことは、とんでもない負の遺産を残すことになるのではないか。原発が使えるように人間はそんなに早くは進化しない。
原発を持つもう一つの条件には、絶対の平和を作ることがある。テロが破壊するのは、たやすいと言うこと、ミサイル1個で国を破壊できること、世界中にそれを教えた、我々はそんなものを国中に配置していたのだ。
これからのかじ取りが大変だ。(20110318 大森弘一郎)
3・11から思う(6成長の無い成長)
白い煙が上がった、これは焼けている燃料に水が当って放射能蒸気が出たことになる。もっと繰り返し海から水を汲み上げて続けてほしいが、今日はこれで終わり。多分隊員の健康被害を考えているのだろう、無理は言えないが頼む。
原発が終息することを心から願う。メルトダウンが起きたら被害は100倍1000倍に膨らむ、日本は消える。ああ早く終息してほしい。津波の被害に気が行かない。
終息してからの話だが、その後どうなる。福島原発の廃炉はそのまま10年ぐらいおかれ、復旧はあり得ないだろう。世界中の原発が見直されるだろう。
日本では、今の計画停電や電気使用の自粛や、間引き運転や、現状を当り前とした日常が定着すればよい。これを契機に省エネや省資源、無駄の無い、効率の良い社会が考えられるかも知れない。地球環境の掛け声では出来なかったことが出来るかも知れない。それがここから世界に広がれば、災いを世界に役立てることになる。
原発に頼らずに、二酸化炭素を削減するのは、当面は人間が消費生活を変えるしかない。原発がkwH当り10円ではなく、滅茶苦茶に高いものだと判るだろう。世界中がそのうえでの経済競争をするようになれば良い。安全と万が一の保障にうんと金をかけることだ。他のエネルギー開発にもっと力を注ぐべきだ。
今私は、電気ストーブを点けず、湯たんぽで手を温めながらこれを書いているが、その気になれば寒さも我慢できる。家の電気は2部屋以外は点いていない。今月は多分電気料が半分以下だろう。
それに釣られて全体の消費が減る、それに経済の循環が耐えられねばならない。
リーマンショックで経済成長が止まってCO2消費も減った時、CO2削減は出来たが人の生活には不満があった。今回を契機に人が自ら資源の消費を減らし、なお充分な満ち足りた気持ちの生活をする工夫をしなければならない。
これは人がどのように、資源消費を少なくして経済を成長させ、人の幸せ感を増やす生活、求めるものの価値観、社会構造を変える工夫をするチャンスだ。今を生きる内にそれが身につくと良い。(20110318 大森弘一郎)
3・11から思う(7やれる資格と人材)
東電の無責任社長はどこに行ったのだろうか。どこかに逃げて隠れているのか、これでは会社がまともに機能するとは思えない。この人が社長をやることは、犯罪だった。
原発を担う資格は始めから無かったと言うことだ。資格の無い勤まらない人が社長では、会社が責任のある行動を取れないのが当たり前だ。
誰が免許を上げるのか知らないが、会社にも人にも、原発を取り扱う資格が無かったと言うことだ。
いや東電に限らず、人間には原発は扱う資格は持てないのかも知れない。
飛行機のパイロットは百万回の離着陸に1回の可能性の事故を防ぐために、繰り返しシュミレーターで事故を体験して回避する訓練をして、免許に辿りつく。その稀なる事故の時に、冷静に、まさに命がけのたまものである神業で、その難を切り抜けている。それでもときに、それが出来ない時に悲劇は起きるが、その大きさはその範囲で終わる。パイロットも死ぬ。それでも飛行機には魅力があり飛びたい人が集まり挑戦する。
パイロットの訓練は常に命がけで、失敗すると自分も死ぬそのことに、冷静に対処出来る訓練だ。
それに比べて原発運転の免許とは聞いたことも無いし、免許を取れる人が居るとも思えない。そもそもメルトダウンの危険になる前の放射能に満たされた中に、決死の覚悟で飛び込んでバルブを手動で動かすような冷静な判断力と度胸を免許の条件にしたら、免許を受ける人が居ないだろうし。何十年も動く原発に携わる人が代を代えていく時、次第に大変さが判り、なり手が居なくなり、原発は老朽化する。
NHKに出てくる東大教授、素人が誰でも知っていることを難しい言葉で言っているだけで、何も大切なことを伝えない。こんな人の所にどういう優秀な学生が集まるのか、次代が心配で、ますます危うい方向は強くなるだろう。つまり原発を使えるリーダーが居なくなることだ。東電と言う会社においても同じことで、どんな社員が集まり育ってくれるのか。つまり原発の免許を持てる人は、将来も居なくなるだろうと言うことだ。
死を恐れない訓練というのは、平和国家では出来ないだろう。重要なエネルギーを供給すると言う役割の誇りが薄れていく所に人は集まらないだろう。
(20110318 大森弘一郎)
3・11から思う(8自然災害への備え)
原発は人災だが、自然災害も増える方向に世の中は移動している。人は技術を過信して、危険の多いものを作り、居住適地でない所に住む。削ったり掘ったり積んだり、常に危険の増える方向の行動をしている。地表全体では局地的な発熱地域を作っている、地表にものを貼っている。水循環を壊している。
自然を克服したつもりの技術は、しょせん何もしない時より、自然災害に弱いものを作っている。そこに温暖化だ、CO2その他の温暖化ガスが増える、森林が減る、海面が上昇する、空気の流れが変わる。自然のサイクルが崩れて経験の無いことが起きる。
CO2対策も遅れ、出来たとしてもすぐには効果が出ないから、温暖化はある程度進むだろう、そうするとその影響が出る。恐らくそのほか世界の各地で次々に大きな災害が起きるだろう。
今回の3・11災害から何とか立ち上がれたら、人々は中々忘れられないだろうから、その数年の間に、世界の災害防止にリーダーシップをとり、原発、原爆、宇宙ゴミ、環境、森林破壊、CO2問題などに次々手を打ったら良い。聞く耳があるから強く提案をして、その一部を率先して実行する。
その一つとして国際災害救助船を作ったらどうか、救援時に持ちだすのと同じ物品や薬や食糧をたっぷり積み、医療機器を備え、診療と治療と入院の部屋を持ち、救難飛行艇とヘリコプターを積んでいて、常に太平洋を徘徊している、どこかで何かが起きたらすぐ駆けつける。
そういう姿勢が世界をリードする、福島から流れ出る放射能は太平洋に入り世界中に循環するし、空気はもっと早く移動するだろう。我々が地球と言う一つの入れ物に住む、運命共同体だと言うことをさらに知り、意識すれば。使えない原発の削減や、使えない原爆の廃棄を皆が考えるようになるだろう。
自然の災害に対処することに全力を使うことが、世界の平和にも繋がるだろう。原爆の経験と原発災害を持った不幸が、我々の発信力になると言うのは、皮肉なことだが、それをしなければ、今までの被災者もこれからの被災者も、浮かばれない。
この惨事を世界の平安に活かせなければ、亡くなった方々に済まない。今だから出来ることは結構ある。(20110320 大森弘一郎)
3・11から思う(9CO2削減・原発・経済・エネルギー)
CO2削減の切り札に原発を置いていた人たちが居た、しかしもう増やせないだろう。新設より削減が方向だ。そうするととりあえずは石炭の火力発電になる。CO2削減は計画と随分変わってくる。そもそも未来への道の選択が誤っていたのだから、袋小路に進んでいたことが判ったのだから、方向を100度ぐらい代えて、安定した路線にしなければならない。
エネルギーの切り札は、やはり太陽エネルギーで、それが育つまでは、消費の自制ではないか。と思う。ソーラ、水素、マグネシュームが伸びるまで。
人間は急いで発展しても、ゆっくり発展しても同じことだ。自分の命で時間を考えないで人類の時間で考えられると良いのだが、エゴを持っている人にできるだろうか。戦争に等しい体験をしたのだから出来るかもしれない。
ものを作って機械の働きに金をかけずに、人の手間に金を払う、ハードに金を払わず、ソフトに金を払う経済のサイクル。一人の仕事を2人で分け合う仕事のスタイル。こう言うことが出来るだろうか。
ネパールでは無計画停電が日常であった。我々は節電で計画停電を防ぎたい。先手を打った計画節電で。
供給が2割ぐらい減るのだから。休んでいた火力発電があるさ、自家発電があるさ、と考えずに、皆で使用を減らすことを考えれば、計画停電は避けられる。不要の点灯は随分あるから、街が暗くなるのを喜ぶ。連続操業でないといけない工場はラインを減らし。バッチで流れる工場は、休日を交代に作る。この仕組みを経済界で作ればよい。世界に先駆けて。
ルールとして、例えば今までの電気使用量を過去実績として、その7割にトータル使用量を決め、それを越えると全電気料金を5割アップするとか、公平なルールを作るのはどうか。
第3次世界大戦だと思えば、何のことは無い。
東電の地区は、福島が止まっても4000kwが1000kw減って、不自由だけれど生きていける。この状態を、福島原発事故の前に、先に原発を止めてこの状態にすることを消費者は許しただろうか。今なら省エネルギーが出来る。(20110321 大森弘一郎)
3・11から思う(10「敵は自分」の戦争)
我々がこれから戦う戦争の相手は誰だろうか。その敵は自分、人間の競争的欲望が相手だと思う。その敵が作った原発が攻撃してきたのだと考えるとよい。これは難しい戦いだ。
雨が降っている、女房が外には出ないようにと言う、被災地も降っているだろう、離れているから未だ安心な気持ちの中にいて、何もしないのがもどかしい。放射性物質は雨に捉えられて落ちて来て地面にしみ込んで、どこに行くのだろうか、半減期の速度で放射能を出して、何もせずに消えてくれるのに、何年かかるのだろうか。調べてみると。
半減期は放射線を出して何かに影響を与え、自分が半分になる期間。半減期と言う言葉はそれで半分になる期間と思える言葉だが、それは間違い。
残りの半分もまた同じ期間で半分だから。半減期の10倍の期間で放射線はやっと1000分の1になる勘定だ。
原子炉内で自然に出来てしまう、ヨウ素131の半減期は8日、コバルト60は53年、セシューム137は30年、骨に蓄積するストロンチューム90は30年、プルトニュウム239は何と2万4千年(プルトニュウム241は14年)。自然界にある、ウラン234は24.5万年、(ラジューム226は1600年、ラドン222は4日)。ついでにプルトニュウムはダイオキシンと等しい猛毒性の人工物質。
この5つが原子炉から今出て来ている。離れれば薄まることはあるが、消えることは無いのです。
放射能は近くの物を放射化し、放射能だけを除くことは出来ない。
自ら原発を持つことは、原爆を自分に落とすのと同じことになった。
シーベルトと言う単位を、普通の人が知らない単位が普及してきた、しかし知識は大切な所が教えられていない。マイクロとミリが1000倍違うこと、1時間当たり〇〇マイクロシーベルトは10時間では10倍、1カ月では約1000倍しなければならないこと。「かける時間」をして安全を考えないと間違ってしまいます。影響も幼児に与える影響の方が数百倍大きいのだが、テレビはそれを言わない。
一つの救いは、人間の自己治癒力で、たくさん一度より、少しずつ多くの回数の方が軽傷らしい。しかし当らないように体内に入れないように。戦争です。
(20110321 大森弘一郎)
3・11から思う(11これからどうする・短期)
被災地の瓦礫の撤去と被害者の収容が早く終わってほしい。被災者の生活が早く正常になってほしい。これを心から祈ります。
道路が、鉄道が電話が復旧して、物が流れて届くように、瓦礫が少しは減って人が入れるように早くなるように。
原発の危険が去るように、不安が無くなるように、廃炉から放射能が漏れ出ないように、早くなってほしい。海への魚への汚染が広がらないように。農産物の汚染、土壌の汚染が残らないように。
自然災害は人の心の中で、人災はこれから現物から拡大する可能性があるので怖い。
次に地元の復興ですが。急いで元の街に戻そうとしないで、安全で美しい街を新たに作ってください。
居住地は20m以上の高台に、漁業の仕事場は海岸近くでしょうから、ここは強固な建物に。移動のしやすい道に、自然災害に安全で、機能的で美しい。そういう新しい素晴らしい故郷の街を、時間をかけて作ってください。そこに住んでいる人、東北大学の都市設計と建築家の力で。
これが出来るように、土地の法律を早く整備してください。
低地は植林をして森にしましょう、まず2万本植えましょう。更地が出来たら、復興の計画が出来たら植林を呼び掛けましょう。これには参加するボランティアは一杯いると思います。
自然災害の凄さは既に世界に発信されています。その後をさらに伝えて、世界中がこれを活かして動くように。温暖化が引き起こすであろう災害の一部を見せてくれたのですから。海面上昇、高潮、台風、地震が無くても災害の起きやすい地球にしないことだと思います、それへの説得力です。
日本人の不幸の体験を世界に知らせて役立てるには、自然災害の実態を知らせることに尽きます。人災は人が防げる、苦しいでしょうがそれを実行する。
当面の電気について。福島原発の復旧はあり得ない。これから原発の新設も出来ない、撤退する方向が賢い。撤退の手順を考える中で、消費者も協力するべきだ。他のエネルギー開発に注力し出来るまで数年は、使用量を減らす。計画停電でなく、自主的計画節電で。窓を開けられないビルの中でクーラーを使えないのも大変だし、連続操業の工場は大変だが、温度を上げ、自家発電を増やす、自家発電を東電が買い取るシステムを作ればかなり進むだろう。
前年より消費が少ない時には、さらに安くなる料金体系にしたら良い。ピーク電力をならすように、テレビで現在の消費量を常時流したら良い。つまり停電が起きないように監視しながら消費を控えたら良いのだ。
会社は活動時間をずらすことをやったら良いし、スーパーの夜間営業は持ち回りにしたら良い。(20110322 大森弘一郎)
3・11から思う(12これからどうする・長期)
基本的には、復旧ではない、形と心の変わった復活だろう。消費者も生産者も流通業者も、これからの困難な環境を乗り切ることを通して身につけ実行する。無駄な消費を減らし、生活を変え、それで安全な豊かさを手に入れること、をやる。
その資金はどうする、危険を輸出するのではなく、安全を輸出することで稼ごう。これは世界に貢献することでもある。
浜岡原発の下のナマズに少し待って貰えるだろうか。東電区域の火力発電が軌道に乗ったら、速やかに浜岡は止める。M9以上の地震と15mの津波に耐えられる改良が始まるようだが、出来るまで止めておく。その間西日本も節電してもらう。充分お金をかけて。他の原発も安全を見直してお金を充分にかけて使いながら、順次廃炉にしていく。使用済み核燃料はその廃炉の中にしまっておく。
日本に再処理工場や使用済み核燃料の保管場所は無いだろう、出来たものはしょうが無いから、今の敷地内に保管するとして、六ヶ所村は撤退してほしい。あそこが危険な場所であることは今回良くわかっただろう。将来原発が無くなれば保管場所は要らなくなる、冷却しながら保管していれば、半減期の10倍の期間で1000分の1に減るわけだから、そうしたら廃炉のスクラップと一緒に1ヶ所にまとめれば良い。多分まとめる場所は福島の20km圏内だろう。
まだまだ我々の行動に矛盾はある、AV車を進めたいがやはり電力を使うのだからなるべく走らない。途上国が欲しがる原発は、危険の保証をわたすようなものだから国家的なリスクだ、やめた方がいい。地球上のどこで出しても放射性物質は濃縮されて、誰かの食卓に帰ってくる。安全なエネルギーの再構築を急いで進める。
巨大地震は連動して起きている。1952年カムチャッカ地震(M9.0)、1957年アリューシャン地震(M9.1)、1964年アラスカ地震(M9.2)。5年間隔。次は南海トラフが動く番だ。浜岡は危ない。
省エネ、自販機は台数を減らして相乗りにする、コンプレッサーを止める。電車は本数を減らしたダイアに。工場は運転日を調整しあう。電気の使用量をテレビで常に放映する、つまり競走でなく共走を。自主的計画節電、つまりピークを作らないようにすればよい。
それでも日本の内部でのCO2削減努力では足らない、原発転換を勘定に入れていた分がもちろん足りない、だから外国での植林に力を入れて、これでカーボンオフセットをする。
自分たちの不幸の体験を世界に知らせて役立てるには、自然災害の実態を知らせることに尽きる。原発問題は原爆所有の無意味を知ることに通じる。今回の大災害は地球環境災害の縮図だ。
原発は次のエネルギーが段取り出来るまで、十分金を使って安全にして、やって貰う、44円なら他のシステムがもっと生まれ育ち伸びるだろう。
米ソで解体する原爆から出るプルトニュウムを、原発で使いたいと思わないように。(20110322 大森弘一郎)
更に思うこと
日本が50Hz帯と60Hz帯の2つに区切られているのを一つにする良いチャンスではないか。多分東電を変えるのだろう、どう切り替えていけばよいのか知恵が要ることだが、これをしておけばソーラが広がった時、地域間の電力融通にすごく役立つことだ。
富士の工場にいたとき両方が入っていて、不便でもあり良いこともあった。富士地区から中部電力の60Hzを東に延ばして、変換機をつけた工場あるいは60Hzの機器をつけた工場は中部電力の電気を使えるようにし、60→50変換機が不要になったら他社に譲るようにしたら良い。
未だ未だ有る。
今も福島では苦闘が続いているだろう、終息するのはいつだろうか、再臨界の不安が消えた後、廃炉とその周辺が元に戻るのは何10年先だろうか。一時避難というようなきれいごとを言わずに、土地を国で買い上げて、用途転換したら良い。
プレートが動く限り、日本列島は地震と津波の危険の上にある。いつ大災害がどこに起きるかわからない。だから国の危険を分散するために、多極集中型に国の作り直しをすべきだ。これから行うことはすべてその方向にする。時間がかかってもその方向に動く仕掛けを急ぎ作る。
日本列島は東が北アメリカプレートに乗っていてその下に太平洋プレートが潜り込んでいる。中央と西はユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートと太平洋プレートが潜り込んでいる、太平洋プレートの動く速度は1年に10cmぐらいでどこも同じ。ならば東が解放されたあと次はその両端と西だとなる。
連鎖的に続かないと良いのだが、時間はそんなには無いだろう。
カムチャッカ1952年、アリュ-シャン1957年、アラスカ1964年のM9の地震の5年間隔の前例が気になる。
地元の人の気持ちを逆なでする提案だが。1号原発の周りの10km、20km圏内は数10年使えないだろうから。いっそここにソーパネルを敷き詰めたらどうか。無人の遠隔操作の建築整備車を作り、建設と保守を無人で行う。
20km半径の2分の1の中に50パーセント敷けるとしたら。100億kWh/年1000万kWの発電所になる、夜昼と好天雨天の変動をパワー可変のガスの火力でおぎなえば、結構な数字になるのではないか。
どうか計算しなおしてください。
更に六ヶ所村のような危ないところの再処理はやめて、原発の近くに使用済み核燃料貯蔵庫を作る。福島の地元には気の毒だが。これから使用済み核燃料はあまり増えないという前提なら考えられるのでは無いか。
以上が1年前の事故直後に書いていたものです。少し動いて来ているようですが、動きの鈍さが気になります。拡散を止めるのは早くなければいけないのです。
素人がこれだけ気付くのに、プロたちはどうしているのでしょうか。
【放射性汚染物の処理方法】 20120224 大森弘一郎
3月11日が近づいてきました、われわれ日本人の常識や視野を一気に変えてしまったこの日です。従来の常識では言えないことを書きます。
グーグルマップで福島第1原発の周辺を見ます、のどかな田畑が広がっています、平和そうな邸宅が見えます、その中を道が通っています、上の方に双葉町の市街が見えます、しかし人の気配が見られません。この画面のすべてが立ち入り禁止の5km圏なのです。
悔しいけれど、数10年以上、ここは人が住めない場所になってしまっているのだ、とは写真からは判らないのですが。
ここを故郷とし、生活の拠点としていた人には申し訳ないことですが、残酷なアドバイスをさせて下さい。その現実を見据えて、早く町全体で、どこかの適地に移動してそこで新たに発展して下さるのが良いです。この場所の町は考え方を変えた新しい姿を考えねばと思います。国はそれをサポートする義務があります。すると思いますのでそれが得られる内に。
ここを使えるのは、もう次代、あるいはその後の人でしかない現実を受け入れざるを得ないのです。良い場所に皆で移り住んで、新しい天地を築き幸せなコミュニティーを作って下さい。この場所は例えばメガソーラ、例えば汚染土を地下に保管して土地の嵩上げをした緑地として将来有効な土地になるように手を打つ。そのような作業を新天地から通勤してやることで土地を活かすのです。どこに新天地の適地があるか、具体的な案を持たない無責任放言で申し訳ないのですが。
井戸川町長さんにそれを進めて頂きたい、町の人たちの組織が分解する前に新しい街を作って下さい。
全く別の理由によってですが、私も故郷が過疎で活動を止めてしまっていて、故郷を失ったと同じ立場にいます。かなり前から過疎になる理由は解っていましたが誰も対策を取らなかったために、思っていたような状況になっています、対策は早い方が良いです。
メガソーラは圏外で組み立てて、圏内に設置し、ロボットで管理する方法が生まれるに違いありません。汚染土保管は中間処分でなく、永久保管として緑地の下に埋め込みます。その保管費として町ぐるみに役立つ何かを持つ。 その中の汚染土保管のプランを書きます。
私は技術士ですから、仲間が集まるなら、体を張って実現に役立ちたい覚悟での提案です。とりあえずここでは私が専門とする包装システムの技術を役立ててまとめました。実現したいです。
基本的なこととして、セシュームの半減期は30年で、焼いても、流しても濃縮と拡散こそすれ、消えてはくれないと言うことを置きます。
燃やすと煙になって拡散し、また灰になって濃縮されます。洗って流すと最終的には川を通って海に入って底にたまり、魚の体になって食卓に帰ってきます。セメントの原料としてキルンで焼いてセメントにすると、建物の骨組みに入って、取り返しのつかないことになります。
つまり、拡散させる行動を取らずに、機会のあるごとに集めて保管する。これが広い場所を除染することになるのです。
作業をまとめますと。
①:放射能汚染灰と放射能汚染土の最終保管をする場所を持つのです。
②:これは政府も東電も言い出しにくいことだと思いますが、福島原発の5キロ圏内には、100年から300年立ち入り禁止となる場所が有る筈です、そこを使います。例えば双葉町の中です。元住民への相応しい代償と雇用と安全を考えての案を作って見ました。
③:5km圏内の、出来るだけ東電の近くに永久保管場所を決めます。除染をして出来た放射性汚染土、放射性汚染汚泥、焼却により濃縮された放射性汚染灰を、ここに積み上げて永久保管します。
④:土壌はセシュームを吸着して、地下水に移行する量は少ないと思いますが、これは検証の必要があります。下に大谷石を敷き、上に通常の土壌を被せてセシュームの飛散を防ぐのが良いと思います。
⑤:永久保管中に放射能は次第に減り、セシュームは100年で10分の1、300年で1000分の1になり時間がたつほど良い状況に移行しますから、それまで汚染が広がらないように管理するだけで済みます。その土地は時間がたつことにより(大変に長い考えにくい時間ではありますが)復活します。
⑥:次に管理作業を次代にどう引き継ぐのかのシステムを作ることが必要です。これも大変なことですが人間に出来る範囲だと思います。これは東電の責任でやることだと思いますが。
⑦:汚染土、汚染汚泥、汚染灰は発生地で、クラフト紙と生分解樹脂フィルムを多層にした重袋に入れます。この袋は、積みこみが終了して、土のカバーがされて、安定するまでの約2年間、飛散防止の役を持っています。それが過ぎれば自然に分解して土になってくれます。
⑧:その袋詰め機が必要ですが米や肥料を詰める包装機は既にあります、これを使います。セメント工場にはこの設備があります。次に専用ラインを持つ包装工場を作ります。
⑨:その包装工場に各地から汚染土、汚染灰を運び込みます。この工場は30km圏外のなるべく近い所が良いですが、離れた発生地でも良いとします。その他詰める場所と工場を確保します。
⑩:それを立ち入り禁止区域の保管場所に運び込むのですが、運転席を放射能から鉛で防御した、クレーン付きのトラックを使います。これに圏外で積み替え、この重装備トラックで保管場所に持ち込み並べます。これには、現地で袋をおろして地面に並べるのに遠隔操作のクレーン(掴み部を開発する)を使います。これは放射線を遮蔽した運転席で操作できるようにします。
⑪:その時に破けない強度が重袋に求められます。
⑫:順に落とすか並べるかして積み上げます、並べた次には重袋の上を車が踏んで走ることになります。単独の負荷ではないですが、その時の強度が必要です。
⑬:つまり高積みして丘を作るのです。袋は数10年で消えて、300年では素晴らしい自然の丘が生まれています。
⑭:この過程で、もし地下水にセシュームが入るとしても、セシュームは濾過されていて少なくとも原発建屋周辺の水汚染よりは小さいはずです。
⑮:1km×1km×100mで1億m3ですから、使用できない土地の面積、即ち集納スペースは十分にあります。
⑯:積み上げが終わった所に、通常の土を被せて、草の種と樹木の種を散布します。中は表土を削って持ってきた除染土と灰ですから、基本的には栄養豊富で草木の成長は早いはずです。必要なら苗木を空から落として植林を行います。
⑰:ここは次第に動物のサンクチュアリーになると思いますが、これで放射能が拡散しないための注意は必要です。おそらく体に放射能を蓄積した動物は、この管理区域の中で死んでくれて外には出ないと予想しますが。人間がこれを捕獲して食べるのは禁止です。鳥の挙動は心配ですが、それによる拡散は、他の方法よりは小さいと考えます。
⑱:草木は放射能を体内に取り込み、枯れて下に落とし、移動せず表面を覆って放射能の拡散を防いでくれます。樹木の体内に取り込まれた放射能も時間と共に消えます。
⑲:あとは100年300年を待つだけです。この土地は町が国に貸して賃料を貰い、移転した町のための経費にします。現地を管理するのは国費か東電の経費で双葉町がするのがいいでしょう。
⑳:除染などによる汚染物は、長期間各地の焼却場などから終わらずに出てくるでしょうから、この出たものは無主物ではなく東電の廃棄物として、全国からこの場所に集めて保管して行きます。ここに住んでいた人、周辺に土地を持つ人の気持ちをどのように傷つけないように理解してもらって進めるか。この土地には帰れないことがすでに判っていると思いますが、当事者にとっては思いたくないことでしょう。これに十分な対価で買い取ることです。出来れば町ぐるみの移転が望ましいでしょう。100年以上使えない土地であることを納得してもらうのは大変でしょうし、政府も東電も言いたくないと思いますが。それをしなければ日本中が前に進みません。
ぜひ進めたいと思います。以上
【原発の発電コストと冷温停止宣言】 (34)20120103
年末の駆け込みのように最近発表されたこの2つのことについて、殆んどの人がここにあるウソを見抜いているようですが、整理しておきます。
一つは冷温停止宣言と40年で廃炉のこと。冷温停止とは、あたかも終息して、平常に復したような錯覚を与える言葉ですが、発熱は続き、もし冷却水の循環が止まったら、また何か起きるかも知れない、仮設の冷却循環経路が100度以上に沸騰するのが止まって冷却水が100度以下にやっとなったよ、と言うことです。あとほっておいても大丈夫ということではないのです。廃炉に出来るには40年と言いますが、融け落ちた核燃料の様子を見ることもできない、人間が近寄ることも出来ない核燃料を除くためのロボットをこれから開発して、これから何十年も作業を続けねばならない、東電の内部の誰がやり続けるかです。この宣言は、その間で少しは余裕のある状態になったと言うことに過ぎません。一息はつけるか知れませんが、安心はできない。長いこれからの道のりのほんの一歩だと言うことです。周辺に住んでおられる方々には申し上げにくいことですが、難しい将来がはっきり見えてきた、その一部を明かしたということです。
原発の建設に関して、政府も電力会社も過去に補助金を貰った地方自治体も住民も、見猿聞か猿知ら猿できた国民も、事故の可能性とその実体と、事故の被害の途方もない大きさと影響を知れば、小さい確率の事故可能性です、といわれても尻込みしそうなものですが、多くの人は未だ勇敢です。作られた安全神話と安い電気、日本にとって安泰なエネルギーという思い込みでここまで来てしまいました。それが壊れて、今日本の原発は9割が止まっています。
世界では年間数10件の悲惨な飛行機事故があって、毎回100人以上の方が亡くなり、原因究明がされ、対策が取られ、それでもまた事故があり、そうして不完全な人間の作るものがだんだん良くなっていき、扱い方もだんだん良くなって道具としてなじんで来ています。人間の作るものはそういうものなのでしょう。現在飛行機の事故率は100万時間に0.7回と言われます。年末ジャンボ宝くじの一等当選の確率は1000万分の一です。
飛行機事故は悲惨ですが、それでも1回に数100人の犠牲です。これくらいでは人間は懲りないようです。その傷は自然に復元し忘れるからでしょう。
一方原発の悲惨さは、一過性ではありません、これから数10年以上繰り返し見せられるものです。広く長期間、身に降りかかる場合を考えると、確率で比較できる性質とは違って来ることに気がつきます、確立とはどんなに数字が小さくても明日起きるかも知れないことを否定しない数字です。全くなじみようがありません。しかし計算で考えましょう。
今回のような事故とその影響の大きさについて、からくもこの程度で済んだ原発事故の警告は以前より繰り返し出されていました。ただ当事者がこれを甘く見て自分の時には起きないと思いこんでいただけです。この中で私は、せめて原発の電力コストを、他より安い6円/kw時とか言わず、事故の損失経費と放射性廃棄物の処理保管費用を入れて、また事故はあり得ると言う認識でエネルギー政策を考えてほしいと言っていました。今回はその意味では前進ですが、数字は低く見積もりすぎです。
今回の試算の値、原子力10.2円、石炭9.5→10.8円、LNG10.7→10.9円、石油36.0→38.9円、風力9.9→8.8円、地熱10.4円、太陽光(メガソーラ)30.1→12.1円。これは2010年の試算→2030年の予測です。
今回のことは数字はともかくとして、やっと政府のエネルギー環境会議が事故の費用を電気のコストに入れたと言う意味では前進です。しかし放射性廃棄物の処理や廃炉のための費用は入っていないそうです。また事故の損害額を6兆円として計算しているそうですが、そんな低いはずはないと思いませんか。補償額に出てこない被害額はいくらでしょうか。
また事故の確率を10万年に1回とか、500年に1回とか、全国の原発の述べ稼働時間が1500年でそのうち3基の事故だからと確率を計算して、これで事故コストを1.2円とはじいているようですが、これもおかしい。(17)に書いたように40年間に原発が発電した電力は8兆kw時で、これで3基が事故を起こした。事故費用を20兆円とするとそれの電力料分は2.5円で1.2円はここからもおかしい。さらに被害額を3つの事故の終息に凄い時間がかかり、広範囲に悲惨さをばらまいて行くことが入っていないのです。
せめて原子力資料情報室の伴英幸氏が示す、廃炉に20兆円、除染に28兆円の数字を貰ってこの損失額を加えたいです。原子力発電は22円~26円だという数字になり、この方が納得出来ます。
この数字で他と比較して今後のエネルギーを考えると、もっと可能性が広がります。太陽光(熱かソーラ発電)、風力、小水力、海流、バイオマス、木材チップ、地熱、地中熱、マグネシューム、水素、藻による光合成、新しい石炭火力、コ―ジェネ、などなど。鍵は太陽起源と地下熱と転換効率です。これに皆で必死に取り組んでほしい。
今まで忘れていたか手を出せなかった、放射能汚染の不安のないエネルギーの利用開発がもっと熱心に進められるといい。原子力発電は他より高い22円~26円だとの認識が、高くて今後も危険な電力、との認識が広がることで、ほかのエネルギーの技術開発が急速に促進されることを待ち望みましょう。